山形の119番訴訟のこと

母親の心情としては救急車の出動をしなかった消防署を責め、山形の大学に行かせなかったらよかったなどと感情的な言葉を吐く気持ちは理解できます。でも、それは山形の人々に対して失礼ではないかとも。

山形の119番訴訟は簡単な問題ではない。

消防署が119番に対して「何でも通報があれば出動する」ことが出来ない理由に、本当に救急が必要でない人々が安易に119番をタクシー代わりに使っている問題が根源で、これは全国で問題になっていて山形に限ったことではない。
これら不屆きな人達による119番の利用は119番出動の多くを占めるという。
それも「苦しい」状況を示す声音で電話する役者顔負けの人も多いので電話では見抜けないため、不要な出動が絶えない。

実際に出動が必要な人が119番をしても出動できる救急車が無いという事態が起こっているので、消防署の対応だけを責めるのはどうかと思います。

この訴訟で消防署の責任が認められてしまうと、タクシー代わりに使っている不届千万な者たちも無條件で送迎してしまう事に繋がらないでしょうか。

救急車の利用を症状に対して段階的に有料にしようという動きが過去あったが、救急車を有料化することへの反対が多く頓挫した。
この有料化は、緊急性のない安易なタクシー代わりに使う人達へのペナルティとして代償を払ってもらうという主旨なので、このような利用者を減少させるのが目的であり、緊急を要する人には料金は発生しないため問題はないはずです。

今一度この案の再考を行うべきではないでしょうか。

110番も然りです。「ゴキブリが出た、退治してくれ」など、馬鹿げた110番通報が大半を占めるようです。

国民のモラルの問題。
「役所は国民の要求に何でも應えなければならない」という認識は、間違っている。

119番通報で山大生死亡 母親が心境

 119番通報したが救急車が出動せず、山形大2年の大久保祐映(ゆうは)さん(当時19歳)が死亡したとして、山形市に対し損害賠償を求める訴訟を起こした大久保さんの母親が5日、市が公表した答弁書に対し、「過失がないとする市側の対応に憤りを感じる」とのコメントを出した。母親は読売新聞の取材にも、「今のままだと同じ目に遭う人が出る。祐映の死を無駄にしたくない」と強調。第1回口頭弁論は9日、山形地裁で行われる。

 市側が今月2日に公表した答弁書では、「やりとりから生命に危険が迫っている可能性は認識できなかった」として、市消防本部に過失はないと主張している。

 今回のコメントは、母親の弁護人が4日、母親に答弁書の内容を説明したうえで、母親が明かした心境をとりまとめたもの。

 弁護人によると、この時の母親は淡々と話しながらも、何度も「おかしい」と繰り返し、「第2、第3の祐映が出るかも知れないと考えると怖さを感じる」と話したという。

 母親は、9月上旬に読売新聞の取材に応じた時にも、「山形に行かせていなければ……」と自分を責める一方、市への不満や憤りを語っていた。

 母親が祐映さんの死を知ったのは、昨年11月9日。この日の朝、山形大から「祐映君が授業に来ていないようですが」との連絡を受け、「学校が大好きな祐映が無断欠席なんて……」と嫌な予感がし、山形へ向かった。しかし、途中の電車の中で、祐映さんの遺体が自宅から見つかったという連絡を受けた。山形署の霊安室で祐映さんと対面し、ただ冷たくなった体を抱きしめることしかできなかったといい、「もっと近くの学校にしていたら、山形に行かせなければと自分を責めることがある」と話した。

 一方、母親はすぐに、祐映さんが昨年10月31日、携帯電話で119番通報しながら、救急車が出動しなかった事実を知った。

 「なぜ、出動しなかったのか」。憤りを感じ、市の情報公開条例に基づき、祐映さんと消防本部のやりとりのテープを入手。自分ではテープを聞けなかったが、親族にテープを聞いてもらうと、そこには祐映さんの苦しそうな声が録音されていた。

 市側が「消防本部の対応は適正な業務の範囲だった」と主張するたび、腹立たしさを感じるという母親。「本人が体調不良を訴えても来てくれない対応がおかしいと思う。祐映に謝ってもらいたい。正しいという前に調査を行い、再発防止策を考えてほしい」。第1回口頭弁論で母親は、そんな思いを胸に法廷に立ち、意見陳述するという。

 ◇母親のコメント全文  

平成24年10月5日 マスコミ各社 様

 今回の件について、色々な方から励ましていただき、本当にありがたく思います。

 テープを聞いた方からは、「普通は来てくれるよね、これで救急車が来ないのはひどいしおかしい。かわいそう。」と言われます。

 普通の方が聞いてもわかる苦しそうな話し方を、普段プロとして119番通報に対応している方が分からないのはおかしいと思います。それでも過失がないとする市側の対応に憤りを感じると共に、怖さを感じています。

            以上

2012年10月6日 読売新聞

現在のマスコミは、国民の感情を煽るような傾向があります。これは社会的な事件に限らず、政治報道などでもそうです。
必ず悪者を作り、その責任を問うという姿勢は疑問に感じます。