英語のお話

和製英語はネット上でも見かける。
リンク・フリーがその代表ですが、Link free と書くと、本来の英語では「リンク禁止」という意味であるとどこかのサイトで知った。
日本では大手企業のサイトも含めて「リンクはご自由に」との意味で使われている。

宗教でも同じで盆は佛教、年始は初詣(神道)、クリスマス・イブ(キリスト教)を祝う日本人。これを日本人は日本人の包容力と肯定する。

和製英語のいい加減さもこれら宗教のいい加減さと根は同じではないでしょうか。

トラスト ミーは間違い

前田 正晶

鳩山元総理の政界引退宣言の影響か、マスコミがまたもや「トラスト・ミー」(=Trust me.)を採り上げだした。

ご記憶だろうが、これは鳩山元総理がオバマ大統領との初対面の会談で「私を信じて下さい」と言ってしまった、実は大失敗の英語の表現だった。

これは恐らく、我が国の英語の勉強法で必ず採り入れられている「単語」の勉強というか、覚える(ないしは覚えろと指導される)事が誤りであることが原因であろう。

何度も言ってきたが、「単語という会話の部品をバラバラに覚えることは有効ではない。単語は前後の関係で意味が変わってくる事があるのだから、会話ないしは文章の流れの中で如何なる意味で使われているかを覚えるのが重要である」のだ。

“trust”には「(人・話しなど)を信用する、信頼する;〈記憶・直感など〉を当て[頼り]にする」とジーニアスにはある。その「信用する」と覚えていて“me”をつけて、「私を信じて下さい」と言ったのだろう。

しかし、実際には“Trust me.”は「ねー、信じて下さいよ」というような調子で、自信がない場合にお願いする時に使う表現なのである。到底一国の首相が初対面の他国の元首に向かっていう言葉ではないのだ。私はこれぞ単語帳的知識が招いた失態であると断じる。Native speaker が使うことがない表現である。

それでは何と言うべきかと問われそうだが、私はこういう形で懇願したことがない。しかし、そういう場面になったら「必ずやって見せますから信じて下さい」という意味で“Believe me. I’m sure to get the job done.”とでも言って、決意のほどを示すだろう。

私はこれをあの当時直ぐに採り上げてエントリしたが、さして反響はなかった。イヤ、無視されたのだろう。本当に残念だが我が国の教え方に何等かの問題があったのだろう。

こういう現実にnative speakerが使うことがない表現を教えているところに、我が国の英語教育の非現実的な面があるのだ。何度も取り上げた他の例を挙げれば、“You’ d better 動詞”という「toを伴わない不定法」がある。これは英語を母国語とする人の間では「(軽い)命令形」であり、良心的な助言だ等と思って使うと「余計お節介をする礼儀知らずな失礼な奴」と思われてしまう。

たった二例を挙げるに止めたが、私は矢張り我が国の英語教育には非現実的な面があるので、なるべき早期に現実に即した形となるよう改善を考えた方が良いと主張するのだ。