安倍元首相の首相退陣の真実

「おぼちゃま政治」や「政権を投げ捨てた」など批判を浴びた安倍元首相。
当時はマスコミや野党は一斉に「無責任」だと責めたてた。
しかし実際は命にかかわる重症で、政治を行うことが不可能だったわけで、苦澁の退陣であった。

今も安倍首相に付きまとう「政権を放棄した無責任な人」というレッテルは晴れていない。

興味深い対談を日本消化器病学会が掲載しています。
この対談のような記事が当時出ていましたら安倍元首相への評価は違っていたでしょう。
事実を無視し無責任に責めたてたマスコミの罪は重い。

消化器のひろば
ずばり対談
http://www.jsge.or.jp/citizen/hiroba/pdf/now01.pdf

-患者・安倍晋三氏と主治医・日比紀文氏の感動対話-

潰瘍性大腸炎を克服する

日比 40年にわたる潰瘍性大腸炎との闘いの歴史、および受療されました治療についての実感をお伺いしたく思います。

安倍 最初は病名のつかない時期があります。中学3年生の時、腹痛の後に下痢と血便が続き、便器が真っ赤に染まってびっくりしました。高校生になってからも年に1回くらい同じ症状が起こりました。でも1週間もすると血便はとまり元気になるので、近くの医院でもらった整腸薬のようなものを飲んでいました。今、思えば学期末試験を控えた、ストレスの多い時期に発症したように思います。

日比 この病気は20歳前後の若い世代に多発するのが特徴です。受験や就職の時期に発症するので若い人はつらい思いをします。精神的なものも誘因となり発症するのかも知れません。持続性・反復性の下痢、粘血便が特徴的な症状です。テネスムス(しぶり腹)といって頻回にトイレに行くのですが、すっきり感がないことも苦しみの1つです。厚生労働省が「難病」に指定しています。原因は免疫異常、腸内細菌異常などが指摘されていますが、不明です。私は内視鏡や血液マーカーから臨床像を観察していると複数の原因からなる“潰瘍性大腸炎症候群”ではないかと思うことがあります。発症されたのが40年前ですから患者数も非常に少なく一般医には関心がなかったかも知れません。診断がついたのはいつのことですか。

安倍 神戸製鋼所に入社してから症状が悪化しましたので会社の病院で検査を受けて潰瘍性大腸炎と分かりました。発症から約10年後のことです。その後、慶應病院消化器内科の朝倉均先生によりきちんとした治療が始まり、炎症性腸疾患治療薬のサラゾピリンやステロイド(副腎皮質ホルモン剤)を使いました。 その後、日本で患者は急増し、治療法も進歩しました。私は潰瘍性大腸炎の変遷とともに人生を歩んできた患者と申せます。

日比 『消化器のひろば』の創刊号にお迎えするのに最もふさわしいゲストです(笑い)。日本で本格的な潰瘍性大腸炎の薬物治療が始まったのは欧米にずいぶん遅れて1970年代からです。寛解(症状の消失・軽快)をもたらす作用のあるステロイドと、寛解へ導き寛解を維持する働きを持つサラゾピリン(5- アミノサリチル酸=5-ASA 製剤の1つ)が使われるようになり、患者の苦しみもだいぶ軽くなりました。その後、サラゾピリンの仲間で、より副作用の少ないペンタサ、アサコールが開発され、腸に注入する(注腸)タイプや坐薬が創られました。またステロネマやプレドネマなどステロイドの注腸タイプが開発されました。さらに、寛解の維持によく効く免疫調整薬なども見つかり、治療の選択肢が広がりました。この間、日本ではタクロリムス(免疫抑制剤)療法、白血球除去療法が試みられ、一般的治療となってきました。 その後、政治家を目指して1993年に初の挑戦で衆議院議員に当選されましたね。

安倍 なぜか2回目(1996年)の選挙のほうで大変つらい思いをしました。たびたび強い便意が起こるのですが、選挙カーからおりるわけにはいかないので脂汗をかいて我慢していました。本当に苦しかったですね。最大の危機は1998年、自民党国会対策副委員長を務めていた時でした。点滴だけの生活が続き、体重は65kg から53kg に減りました。そこで政治家の進退を賭けて慶應病院へ3 ヵ月入院しました。政治家は志を遂げるために自分の病気は徹底して秘匿しなければなりません。病気は大きなマイナスです。家内の昭恵は「政治家なんか辞めてください」と涙ながらに訴えるし、身近な人は病気を公表して政界からの引退を勧めましたが、私は治療の結果で決めようと考えていました。腸の全摘手術も検討されました。この時、ペンタサの注腸療法がよく効いて日常生活にほとんど問題がなくなりました。ここで政治家への道へ邁進することを決断しました。

日比 お話を少し戻させていただきます。私どもの病院を受診されてから30年以上になりますが、日本人医師が潰瘍性大腸炎の研究論文を初めて発表したのは1928年のことで、その症例数は10人でした。私が医学部を卒業した1973年当時、慶應大学病院の患者数はわずか10人程度で日本全体でも1,000人前後でした。私は潰瘍性大腸炎の研究に取り組むことになったのですが、海外の文献を頼りに細々と勉強していました。現在では患者数は13万人を超えました。米国は50万人で、元大統領のD.D. アイゼンハワーはクローン病、J.F. ケネディは潰瘍性大腸炎といわれています。体調が崩れるたびに良い薬がでてきます

安倍 先のサラゾピリンを含む5-ASA 製剤はもともとはリウマチの治療薬として開発された非ステロイド系薬物だそうですね。それが潰瘍性大腸炎に使われて効果を発揮するわけです。私は病状が悪くなるたびに効果の優れた新薬が登場してきて病気を治してくれ、政治生命をどんどん延ばしてくれます(笑い)。

日比 さて、お話は総理大臣就任と1年後の辞任という場面に移らせていただきます。21世紀に入ってからは健康状態が続いておりましたね。

安倍 先の注腸療法などがよく効いて寛解状態が続き、幹事長、副幹事長、官房長官の要職を充実した思いで果たすことができました。これなら総理大臣への挑戦も可能だなと考え、自民党の総裁選に出て勝ち、2006年9月、総理大臣になりました。ですが総理大臣は想像していたより何十倍もの激務でした。機能性胃腸症にかかり、お粥かゆと点滴で栄養補給しながら、海外諸国を訪問するようなありさまでした。結局、海外でかかったウイルス性腸炎のため、持病は最悪の状態になり、回復の兆しはございません。所信演説でのミスなどもあり、そこで私は記者会見で潔く辞意を表明しました。病気のことは後になって公表しました。

日比 現在の健康状態はいかがですか。

安倍 アサコール(サラゾピリンなどと同じ5-ASA 製剤の1つ)という飲み薬が画期的に効いて寛解状態が続き、「また悪くなるのでは」との懸念がなくなり、精神状態も本当に楽です。CRP(炎症反応)検査値はゼロ、内視鏡検査の結果は「何もない」。この40年間で初めての「何もない」状態です。この薬は欧米では20年くらい前から使われていたのですが、臨床試験の問題もあって承認が遅れました。本当に残念です。

日比 もう健康体といってもいい状態です腸に炎症も潰瘍もなく粘膜はきれいです。今後、「何もない」生活が送れる可能性もあります。患者の中でも自然治癒を思わせる人が出てきました。中等症や軽症者の入院はほとんどなくなりました。炎症がなければ健康な人と同じ生活ができ、問題はないのです。

安倍 潰瘍性大腸炎患者としての希望は、1つはこの病気を希少疾患とオーファンドラッグ(希少薬)のワクを外して製薬会社が創薬に思い切り挑戦できるような環境を整えること、もう1つはアサコールの話がでましたが、ドラッグラグ(治療薬承認の遅れ)を解消して、薬を日本人患者が早く使えるようにすることです。現在の希少疾患の基準は患者数5万人未満です。

日比 ブデソニド(ステロイド)は約20年前から欧米で潰瘍性大腸炎治療薬として使われている薬ですが、5-ASA 製剤を対照として臨床比較試験を行っています。この薬は吸収されるとすぐにほとんどが肝臓で代謝されるためムーンフェイス発症や骨密度低下などの副作用が少ないのが特徴です。今後期待される薬としては、1日1回服用の治療薬、寛解導入・寛解維持の両方に優れた抗TNF- α抗体製剤(レミケード)などの保険が承認されました。

安倍 潰瘍性大腸炎に関してアジア諸国との共同研究会立ち上げ計画が進行中と伺っています。

日比 この病気の発症傾向・疾患感受性遺伝子は欧米とは明らかに異なります。ですからアジア地域が1つになって研究を行えば治療法の開発、患者のQOL の向上に貢献できると考えています。この病気は国が工業国として発展するに従い、患者が増えるといわれています。 潰瘍性大腸炎に類似した病気にクローン病がありますが、今回は割愛させていただきました。

安倍 医学の進歩で延命させていただいた政治生命です。ご恩返しに闘う政治家として今後もわが日本を「美しい国へ」(自著名)、自立した国家へ導くべく頑張ってまいりたいと思います。

日比 長時間にわたり同病者の参考になる貴重なお話をご披露いただき、有難うございました。

構成・高山美治