加瀬英明「やっぱり醜い韓国人」

やっぱり醜い韓国人

加瀬 英明

恥曝しの日本の政治家たち

野田首相がウラジオストクのアジア太平洋経済協力会場(APEC)首脳会談で、韓国の李明博大統領と隣席になった。

すると、野田首相が李大統領に満面諂い笑いを浮べながら、こちらから手を差し出して、握手を交した。恥曝しだった。

李大統領は竹島に不法上陸しただけではなく、その直後に、天皇陛下を公けの場において、侮辱する暴言を弄した。

そのうえ、李大統領は野田首相からの親書を受け取ることを拒んで、郵便で送り返すという、外交関係で前代未聞の非礼を働いた。

日本の首相から握手を求めては、けつしてならなかった。国辱だ。もし、先方から手を差し出したのであれば、不承不承硬い表情を崩すことなく受けて、窘(たしな)めるべきだった。

野田首相だけではない。事実無根であるのに、日本統治時代に日本官憲が無辜の娘を攫って、慰安婦となることを強制したと、平成5年に談話を行った河野洋平官房長官や、ソウルの日本大使館前に国際儀礼を無視して建てた慰安婦像前で、反日デモに参加した国会議員をはじめとして、醜い日本人は枚挙にいとまがない。

日韓関係を今日のように悪化させた咎は、誰よりもこれらの醜い日本人が負うべきである。

図に乗った醜い韓国人は、日本製である。

私がはじめて訪韓したのは、日韓国交正常化前年の昭和39年のことだった。時事通信社特派員の肩書を貰って、ソウルに入った。あのころは、韓国にジャーナリストや、商社マンなどを合わせて、5、60人しかいなかったから、日本人は珍しがられた。

土間の飲み屋(ポージャンマチヤ)に入って、日本人だと分かると、全員が競うようにして、濁酒(マッコリ)を奢ってくれた。ビールは高価で、庶民の手に届かなかった。深夜に郊外からバスに乗ったところ、乗客から握手攻めになって、都心に着くまで全員が日本の歌を合唱してくれた。

韓国は日本統治時代が遠くなるにしたがって、反日の度合いが強くなった。

私はその後、韓国に足繁く通って、高官や、国会議員、学者、新聞社や、テレビ局経営者などと親しくなったが、みな日韓関係を親しいものとすることを、強く願っていた。

日本統治時代に教育を受けた人々ばかりだったから、節度をわきまえていた。いわゆる慰安婦(ウイアンプ)や、竹島(韓国名で独島(ドクト))が話題になることがなかった。

慰安婦といえば、東亜日報(ドンアイルボ)をはじめとして韓国の新聞に、美(ミ)(米)軍基地(グンキジ)のための「慰安婦(ウイアンプ)募集(モチップ)」の広告が載っていた。あのころ韓国では学校教科書や、新聞や書籍にも、まだ漢字がハングルに混ぜて使われていた。

韓国人は感情が激しい。昨年12月に北朝鮮の最高権力者である、金正日中央軍事委員長が死んで、葬儀が営まれた。遺体が一面の白雪のなかを、保存状況がきわめて良好な1970年代製のアメリカ製のリンカーン・コンチネンタルの屋根に乗せられ、右側に3代目の後継者となった、金正恩人民軍若大将が徒歩で付き添って、ピョンヤンの中心街を進んだ。

先頭の車のあとに、先代の肖像写真を固定したやはりリンカーンが続き、3台目のリンカーンが巨大な花環を乗せていた。

テレビの映像では、沿道に並んだ市民が全員、天も地も裂けよと号泣していた。

私は韓国で葬儀に招かれた時に体験したが、遺族が同じように号泣しているのに、異郷に来たと実感したことがあった。これは文化の形であるが、韓国語で「声を張りあげて、声のかぎりに泣く(クゲ・ウルブチタ)」という。

韓国人はしばしば感情を爆発させる。いまでも酒席では、男たちが「死ぬまで飲もう(マシゴ・チュプチャ)!」とか、「一緒に死ぬまで飲もう(マシゴ・ハムケ・チュプチャ)!」といって、威勢よく杯を挙げる。

私が韓国を頻繁に訪れたころには、ビールをなみなみと注いだコップに、ウイスキーをみたしたショット・グラスを沈めて呷るのを、「爆弾酒(ボクダンチュ)」といって、流行っていた。

いまでは、「爆弾酒」のコップのうえをラップで覆ってから、カクテルのシェーカーのように振ってから穴をあけると、ビールで割ったウイスキーが勢いよく噴き出るのを、「射精酒(サジョンチュ)」と呼んで、流行っている。

昨年、韓国の大企業の役員が来日して、赤坂のクラブに案内された時に、「射精酒」を実演してくれた。「韓国人はこれを何杯もやって、頭からビショ濡れになるまで飲んで、楽しむんです」と、マダムが教えてくれた。

ふだんはおとなしいのに、いったんハンドルを握って運転すると、荒々しくなって、交通法規を守らない。「過剰運転(ファギョカン・ウンジョン)」というが、最近まで「ファギョカン・ウンジョンをやめよう」という公共CMが、テレビで流されていた。

そういえば、韓国のデモの映像を見ていると、反日デモにかぎらず、デモ隊が「決死反対(チョルサバンデ)!」と絶叫している。

韓国は韓国海軍でもっとも大きな大型強襲上陸艦に「独島」と命名したり、竹島で国会の委員会や、ファッションショーや、音楽会を催して、ことあるごとに日本を痛めつけて、快哉を叫んでいる。

私はフォード政権とブッシュ・ジュニア政権で国防長官をつとめた、ドナルド・ラムズフェルド氏と親しかった。ブッシュ政権の時に、韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領が訪米して、ラムズフェルド長官と会談したところ、盧大統領が開口一番、「韓国にとって、日本がもっとも大きな脅威です」と述べた。

ラムズフェルド長官は翻訳をきくと、わきの補佐官に「このバカ、何をいっているんだ」と聞こえるようにいって、「私は忙しい。そのような話を聞いている暇はない」と述べて、打ち切った。

国防省の親しい友人が、「韓国は同盟国として、とても信頼できない。北朝鮮よりも日本のほうが、脅威だと思っている」とこぼす。

韓国国防部が次期主力戦闘機の選定を行った時に、韓国の多くの飛行場の滑走路が短いことから、離着陸距離が短い軽戦闘機を採用するように勧めたのにもかかわらず、F15を選定した。すると、韓国側が真顔で「日本がF15を持っているから、われわれも持たなければならない」と、説明したという。

韓国は他の外国に対しては、節度をわきまえて接するのに、日本となると居丈高になって、感情を爆発させる。

韓国人は日常相手を、出身校や、親の社会的な地位によって上下を区別するから、いつも抑圧されており、韓国人にとっても住みにくい社会だ。情緒不安定になる。そのために、弱い者を苛めることによって、鬱憤を晴らす。

韓国がことあるごとに、日本を嬲(なぶ)りものにするのは、韓国のせいではない。日本の歴代の政権が卑屈な態度をとってきたためだ。苛めっ子は、弱虫がいるから苛めを募らせる。

日本は韓国に対して卑屈に振舞うことによって、日韓関係を歪めているだけでなく、中国や、ロシアからも侮られて、嬲られる。

韓国は相手にしがたい。6月に日韓のあいだで、防衛秘密を共有することを定めた協定に、調印するのが決まっていたのに、5月に続いてその寸前に、2回目に延期された。

日本と軍事協定を結ぶのを、「とんでもない(マルドアンデ)!」「だめだ(アンデッ)!」と叫んで、いつものように世論が湧き立った。

誇れるものが何一つない国

どうして、韓国は漢字を廃止して、ハングルだけ用いるようになったのだろうか?気の毒なことに、韓国は李朝500年について、何1つ誇れるものがない。

それは、ひどい国だった。日韓併合まで続いた李朝時代は王族が殺戮しあい、支配階級の両班(ヤンバン)が庶民(サンノム)をほしいままに収奪して、奴隷のように扱う、弱肉強食の社会だった。

そこで反日だけが、韓国の愛国心を、成り立たせている。愛国心イコール反日となっている。日本なしに愛国心が成り立たない。

日本による統治が、朝鮮を開明的な近代社会につくり変えた。日本が日清戦争に勝って、それまで清の属国だった朝鮮が独立すると、はじめての大韓帝国を称した。

韓国では漢字が中国で生まれたのに、近代語がみな日本製だから、漢字を日本的だといって、漢字を廃してハングルを用いている。世宗大王(セジョンデワン)が15世紀につくったハングルだけが、独特なものとして誇れるから、ナショナリズムの旗となっている。

だが、識字率が低かった韓国人全員にハングルを教えたのは、日本総督府だった。

日本統治が今日の韓国の発展の基礎をつくった。いまの韓国は躾けが悪い少年によく似ている。韓国の人々は統治時代には、日本によって背負(おんぶ)されていた。そして、ことあるごとに日本を足蹴にするのは、いまでも日本に甘えているからだ。

森本敏防衛相が、李大統領が竹島に上陸した直後に、「これは韓国の内政事情が引きおこしたもので、外国の内政に干渉してはならない」と発言したが、お粗末きわまりない。即刻、馘首するべきだった。

もっとも、韓国に対して、毅然たる態度を示すことができないのは、日本の国内問題の延長である。

今日の日本では、どこを捜しても、子どもを厳しく育てる父親がいない。父親たる責任を放棄して、甘やかしている。

私は浅草名物の雷おこしを口にするたびに、雷門はまだあっても、雷オヤジを懐かしく思い出す。この国から雷オヤジがいなくなってしまった。私が幼かったころには、餓鬼仲間と悪さをするたびに、近所の雷オヤジが大声で怒鳴ったものだった。

戦後の日本では、人が寛容であることが、よいこととされている。しかし、あらゆることについて寛容であるのは、責任をとることを恐れているからだ。腑甲斐ない政治家は心神喪失しているから、禁治産者とするべきだ。