民主党政権誕生を誘導したマスコミ

安倍政権や麻生政権に対するマスコミの報道は当時、私も疑問に思っていました。
自民党の悪いことは重箱の隅をつつくように報道する反面、民主党に都合の悪い記事は全くない状態だったのを今でも覚えています。

当時はインターネットで在日系の人たちが「自民党に鉄槌を、政治を任せられる政党は民主党しかなない」などのカキコをYahoo!掲示板やブログなど、あちらこちらでネガティヴ・キャンペーンを行なっていましたが、疑うことを知らない日本人はそれを信じてしまった。

さすがに今はマスコミは朝日新聞や毎日新聞を除いて民主党を褒めることはしなくなりましたが、思考囘路がアンチ自民党なので、どうしたものか迷ってるのがマスコミの本当のところでしょうね。

以下、転載します。

メディアが仕組んだ政権交代

伊勢 雅臣

■1.「安倍の葬式はうちで出す」

「安倍の葬式はうちで出す」とは、安倍内閣当時、ある朝日新聞幹部の発言だという。対立政党ならともかく、事実の報道を使命とする新聞が特定の政治家の打倒を目指すものなのか。政治評論家・三宅久之氏は、こう発言したそうだ。

朝日新聞の論説主幹の若宮啓文と会った時にね、「朝日は安倍というといたずらに叩くけど、いいところはきちんと認めるような報道はできないものなのか?」と聞いたら、若宮は言下に「できません」と言うんですよ。

で、「何故だ?」と聞いたら、「社是だからです」と。
安倍叩きはうちの社是だと言うんだからねえ。社是って言われちゃあ・・・。[1,p3]

どうやら、日本の一部のマスコミは、能動的・主体的に特定の政治家を打倒することを目指すようなのだ。ということは、報道によって別の政権樹立を目指すことも当然あるだろう。

民主党政権は過去3年間、日本を混乱と停滞に追い込んできたが、自民党から民主党への政権交代を実現したのも、一部のマスコミだということを小説の形で暴露したのが『真冬の向日葵』である。

これを読みながら当時を思い起こすと、今更ながら、あれが偏向報道だったのか、と気がつく部分が多々ある。その一部を紹介しよう。

なお、小説の形なので、登場人物は本名に近い偽名に変えてあるが、本稿もそれに従う。註1

■2.「安城もしくは岡崎だったからいいけど」

政権交代前に最後の自民党政権を担った麻生太郎は、自民党総裁選挙の段階から、バッシングを受けていた。

平成20(2008)年9月14日、リーマン・ショックの前日、麻生は名古屋で選挙演説を行い、その前月末に岡崎市を襲った豪雨災害に触れた。

公共工事を皆、悪の事のように言うけれども、このあいだ、愛知県はどうでした?

岡崎で降った雨、1時間に140ミリだよ、140ミリ。・・・それでこれが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水だよ。

これが今、起きている。新しい気候現象に対応して、我々は、しかるべきものをやらなければ。

公共工事は何も田舎だけじゃない。都会でも新しい時代に合わせて、そういう投資を、きちんとした社会資本整備をやらなければいかんのじゃないんですか。[2,p137]

この発言のうち、「安城もしくは岡崎だったからいいけど」の部分のみがクローズアップされ、失言としてマスコミから猛烈に批判された。

発言全体の文脈を辿れば「豪雨が安城もしくは岡崎だったから、この辺は大丈夫だったけど」という意味だと分かるが、この部分だけを切り取って報道することで、さも「安城や岡崎なら洪水になってもいいけど」と言ったように、世間には伝えられたのである。「失言」を意図的に作り出す偏向報道である。

住民の安全を守るためにも公共工事が必要だという、麻生の本質的な問題提起はまったく無視された。この問題は、後に民主党の「コンクリートから人へ」というスローガンでさらに隠蔽されていく。地震や津波、洪水から「人を護るためのコンクリート」があることは完全に無視されてしまった。

■3.麻生を敵視した理由

麻生が一部のマスコミから敵視されていたのは、おそらく安倍内閣時代に外相として「自由と繁栄の弧」というビジョンを掲げたことが、主な原因だろう。

このビジョンは、日本から台湾、東南アジア、インド、中近東、そして欧州と、ユーラシア大陸の沿岸を囲む弧の形で、「自由と民主主義、市場経済と法の支配、人権の尊重」を旨とする国々が連帯していこうという、壮大かつ明確なビジョンであった。このビジョンは、米国はもとより、欧州各国からも熱烈な支持を寄せられた。[a]

この「自由と繁栄の弧」こそは、戦後初めて、日本が国際社会に向けて発信したビジョンであったろう。

しかし、この明確なビジョンは、敵をも明確にする。「自由と繁栄の弧」に包囲されるのは中国である。左翼的な心情から中国に親近感を持つ多くのジャーナリストが、麻生を「敵」と見なしたであろう。

また祖父・吉田茂から「日本はとてつもない国なのだ」と聞かされて育った麻生は、戦後の教育やジャーナリズムを支配した自虐史観からの脱却を目指していた。

麻生が首相として存分に活躍すれば、戦後レジームにおける自分たちの既得権益が失われると危惧したジャーナリストも多かったであろう。

■4.「総理! 解散総選挙はいつですか!?」

9月22日の総裁選挙に勝って、麻生内閣が発足すると、野党とマスコミは揃って「選挙管理内閣」と呼び、マスコミは「総理! 解散総選挙はいつですか!?」という質問を繰り返した。

首相官邸で新聞記者たちに囲まれて、質問に答える「ぶら下がり会見」を内閣発足後の1ヶ月の間に28回受けたが、そのうち17回、「解散総選挙はいつか」という質問を受けたのである。

このように、相手に悪しきイメージをもたらすレッテルを貼り、それを繰り返すプロパガンダ手法を「ネーム・コーリング」と言う。

麻生も、当初は早期解散を念頭に置いていたが、リーマン・ショックで経済が大混乱に陥った時期に政治的空白を作る解散総選挙など出来る筈もなかった。

麻生政権は10月には第一次補正予算を成立させた。主に雇用対策や中小企業の資金繰り対策に重点が置かれた。銀行が貸し渋りや貸し剥がしの傾向を見せ始めており、中小企業が資金繰りで倒産し、雇用が失われる事態は何としても避ける必要があった。

さらに民主党による参院での審議拒否に悩まされながらも、翌年初には第2次補正予算を成立させた。今回は定額給付金、高速道路料金の大幅引き下げなど、国民の消費拡大に重点が置かれた。

■5.政策論議を無視したネガティブ・キャンペーン

必死に日本経済を護ろうとする麻生政権の努力を無視して、マスコミは個人攻撃を続けた。

その一つが「漢字の読み間違え」だった。麻生が演説の中で、「未曾有」を「みぞゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」と読み間違えたことを受け、マスコミは「麻生は漢字も読めないバカだ」と大キャンペーンを張った。

尻馬に乗った民主党副代表が、国会の場で首相に漢字テストを行うという前代未聞の愚行まで行った。政策論議を行うべき国会を、ネガティブ・キャンペーンの場にしてしまったのである。

また麻生がホテルのバーで酒を飲んでいる事を取り上げ、「麻生は資産家だから、庶民の気持ちが分からない」などと批判した。これも政策とはまったく関係のない個人攻撃である。

マスコミは些細なことで麻生を貶(おとし)め、「総理を批判する『国民の声』が聞こえないんですか!」と叫び続けた。

ほとほと呆れた麻生は、ある会見の場で、「それは『国民の声』ではなく、『あんたの声』だろうが」と返答して、記者たちの神経を逆なでした。麻生とマスコミの関係は、ひたすら悪化する一方だった。

■6.財務相の「酩酊会見」

麻生内閣は第1次、第2次に加え、第3次の補正予算に取り組んだ。第3次は次なる景気対策として「公共事業拡大」が中心となると予想されていた。

そこに、もう一つの敵が現れた。今まで公共事業総額を抑え込んできた財務官僚にとって、麻生政権の政策は許容限度を超えていたのである。

特に麻生首相に見込まれて財務相を務めていた中川昭二は、経済・財政に関する造詣も深く、財務官僚が操りやすい大臣ではなかった。中川財務相は、財務官僚にとって、「排除の対象」と見なされるようになった。

2009(平成21)年2月、ローマで開かれたG7にて、中川財務相は、IMF(国際通貨基金)を通じて、金融危機に陥った加盟国への資金提供などのために、日本が最大1000億ドル(約9兆円)を貸し付ける提案を行った。

加盟国による資金提供としては過去最大で、IMFのスタースカーン専務理事は「人類の歴史上、最大の貢献である」と言って、謝意を示した。

大役を終えた中川財務相は、随行した財務官僚やジャーナリストから祝杯を上げようと誘われた。義理堅い中川はそれを受け入れたが、後で記者会見を控えているために、さすがに酒をセーブせざるをえなかった。

しかし、2杯目のワインを飲んだところで、なぜか気分が悪くなった。酒の強い中川がこれだけの量で酔うことは考えられない。

記者会見では、中川はさらに体調が悪化しているように見受けられたが、左右に座る財務官僚は、記者会見をそのまま強行させた。記者会見は大臣が体調不良でキャンセルしても問題になるようなものではなかったのだが。

中川は傍目にはほとんど泥酔者のように見えた。日本のテレビは「酩酊会見」のシーンを執拗に繰り返し、野党やマスコミは一斉に大臣辞任を要求した。それと同時にスタースカーン専務理事が「人類の歴史上、最大の貢献である」と絶賛した事実も、伏せられてしまった。

不思議なことに、随行した財務官僚も、ジャーナリストも、国内での大騒ぎを一切、中川に伝えなかった。中川がそれを知ったのは、成田について妻に電話した時だった。もはや、中川には辞任以外の道はなかった。

■7.「政権交代選挙」

麻生内閣は4月10日に15兆4千億円の財政支出を中心とする第3次補正予算を成立させた。その中には、学校や病院の大規模な耐震化工事も含まれていた。

しかし、マスコミはそういう内容についてはまともに報道せず、わずか117億円の「国立メディア芸術総合センター」のみをクローズアップして、「国営のマンガ喫茶」などと批判した。

麻生内閣の奮闘ぶりは国民に伝えられず、マスコミの意図的なネガティブ・キャンペーンで、支持率は下がり続けた。

7月21日、麻生は衆議院解散を宣言した。マスコミは「政権交代選挙」と繰り返した。一般国民の間では「政権交代」さえ実現すれば、すべてが良くなるというような根拠のない期待が広まっていった。

その「政権交代」の担い手となる民主党の鳩山代表は、外国人地方参政権に関連し、「日本列島は、日本人だけのものじゃないんですから」と語った異様な国家観の持ち主だったが、それが新聞やテレビで取り上げられることはなかった。

民主党のビジョンも「子ども手当」「高速道路無料化」「農家個別所得補償」などのバラマキ政策ばかりで、財源については明確な根拠は示されていなかった。

選挙期間中の麻生総理と鳩山代表による党首討論を、自民党はノーカットで放送するよう各局に求めた。テレビが都合のいいように映像を切り貼りする偏向的な報道の防ごうとしたのである。

しかし、各局はノーカット放映を拒否した。これによって、自民党は国民の前で、民主党政策の欺瞞を暴露する機会を失ったのである。

■8.「裁かれるべきは」

こうして平成21(2009)年8月30日、マスコミの思惑通り、歴史的な「政権交代」が実現し、民主党が政権を握った。その異様な国家観と、財源の裏付けもないバラマキ政策は、日本と国民を3年間、苦しめ続けている。

期待を裏切られたと多くの国民は思っているだろう。しかし、その期待は、そもそもマスコミの作った幻影だった。小説『真冬の向日葵』の主人公である新米記者の雪乃は、こう語っている。

わたしはこれまで、マスコミによる歪んだ報道や、国民に対する刷り込み、根拠のないバッシング、高慢なレッテル貼りに怒りを持ってきた。しかし今、気付いた。・・・裁かれなければならないのは、その情報を受け取る”人”なのだ。

人。マスコミやネットなどの媒体から情報に疑問を持たず、情報の真偽を確認もせず、与えられた情報によって判断をくだす、人。彼らは無責任だ。自分の頭で考えないということは、明白な罪。罪を自覚すべきは、裁かれるべきは、わたしたち人間だったのだ。

報道が人間の仕業である以上、何らかの意図をもって、情報の受け手を左右しようとする輩は、いつの時代になっても存在するであろう。民主主義国家に必要なのは、そういう偏向報道に操られない国民なのだ。


註1)原文では「麻生」は「朝生」、「麻生太郎」は「朝生一郎」、「中川」は「中井」となっていましたが、読みにくいのと、名前を伏せる意味がないと思い、実名に戻しました。