先日の頂門の一針の読者の声の欄で以下のような投稿が。
2.現在無人爆撃機の使用を拡大することの是非の議論が米国で喧びすしいのですが、その際の論点は、論じている人たちの重要度からいうと以下の順です。
(1)攻撃対象に米国人を含めることの是非
(2)無人爆撃機を他の国も使い始めると米国の国益へのマイナス
(3)無人爆撃機を米国外で使い続けることによる反米感情の高まり
つまり攻撃される人、さらに誤って被害に遭う人たちの痛みなどはほとんど議論されないのです。
これが、米国のマスコミさらには学者や政治家そして一般国民の意識水準です。私は、米国との同盟をさらに友好関係を密にすることに大賛成ですが、こういう連中であることをしっかりと理解したうえで対応する必要があります。(當田晋也)
「頂門の一針」2916号より転載
これは日本でもそのまま当てはまり、自衛隊への導入に関しても日本では以下のとおり。
- 在日米軍や米国領への攻撃への反撃を含めるかどうかの可否
- 無人爆撃機を自衛隊に配備することに関して日本国内の反自衛隊勢力の反発が心配
- 無人爆撃機を日本国内で使い続けることによる特亜の反日感情の高まり
どの国も自分の国を第一に考え、他国民への配慮は考えない。
それは日本人も同じ。
違いは日本人は自国のことを考えるが、他国人への配慮も同レベルで考えるのが日本人。
外交では相手からするとこれは鴨葱に等しい。
こちらが配慮すれば、それを恩に思い相手も配慮してくれると考えるのは日本人だけの思考回路です。
世界の常識では外交上の配慮を交渉で言及するのはその時点で負けなのだ。
つまり、交渉の段階で既に負けています。
北方領土の交渉でも現在は「2島返還を先にし、残り2島を今後の課題」という案を唱える官僚や「2島返還で決着を」という政治家がいるが、交渉するなら南樺太や千島列島も含めて返還を求め、結果妥協して4島返還に落ち着く絵をどうして描けなかったのか。
戦後の外交が残念で仕方がない。