行き過ぎた平等主義~学校の温室敎育

伊勢雅臣氏のメルマガに次のような記述が

 神戸大学の西村教授らは、「しつけ」という違った角度から研究を行いました。4つの基本的なモラル(=ウソをついてはいけない他人に親切にするルールを守る勉強をする)をしつけの一環として親から教わった人は、それらをまったく教わらなかった人と比較すると、年収が86万円高いということを明らかにしています。

さらに

 窪田教授らは、しつけが子どもの勤勉性に因果効果を持つことを明らかにしました。すなわち、親が幼少期のしつけをきちんと行い、基本的なモラルを身につけさせるということは、勤勉性という非認知能力を培うための重要なプロセスなのです。

そして、このしつけによって育まれた勤勉性が、平均的な年収の差につながったのだと考えられます。

そう言えば、商家や職人の世界には以前丁稚奉公でっちぼうこうという制度があった。
これは幼少の頃から住込みで奉公(働くこと)をする制度であり、義務教育の発足から現在では事実上丁稚奉公が不可能になり廃れてしまいましたが、商家や職人の世界では理想的な教育制度でもあったと思う。

丁稚奉公に出された子供たちは、何年にも渡って掃除や洗濯、先輩の世話などの下積み奉公が始まる。
ここでくじけけない忍耐力と嘘をつかない誠実さが培われる。
この段階では衣食住は保証されるが給金は出ない。
また、この段階で見込みの無いものは親元に帰らされてしまう。

これらのしつけが出来てはじめて商人や職人としての心得や技量を学ぶことになる。
その下積みを終えてはじめて職に携わることに。職にたずさわわってからは少しばかりの給金が支払われることに。
一生を下積みで終える者も居たという。

現在に残る建築物や美術品なども彼等職人たちの超人的な忍耐力と誠実さ、そして技量を磨くため精進する心根こころねなど丁稚時代につちかった躾がその基礎となっているのは否めない。

現在の学校教育では虐めを見つけて教師が注意しても、すぐに親から「うちの子供は虐めはしていないと言っている」と抗議があり、その教師は謝罪に追い込まれるという。これでは虐めていた子供は「嘘を言わない」という躾が身につかない。
「こどもを信じる」と言うことは子供の言ったことをそのまま信じることではなく、子供を人として信じて見守ること、つまり褒め、叱り、励まし、喜怒哀楽を共にする事だと思う。

また、体育祭で得点制を廃止し、またリレーなどでも順位を付けない學校が増えたという。
仲間と力を合わせて勝った喜び、力及ばずに負けてしまった悔しさや挫折感。
どちろも人間の成長に欠かせないもの。
「平等」を尊ぶのは正しいが、競争という行為を廃止するのは教育上良くないと思う。

社会に出たら実力主義の競争社会。
挫折を経験していないと、社会人なら責任も伴うため挫折に遭遇した時に心が対処できない。
子供の頃から挫折や困難に立ち向かうすべを培うことは必要です。