新聞に目を通していると「隠れた名作邦画を探せ」という見出しが目に止まって、読んでいましたところ、
映画祭では14日~16日、日本・ミャンマー合作映画で、昭和戦争のインパール作戦に参加した日本兵の家族を描いた「THWAY-血の絆」や、
という部分が。
はて、昭和戦争とだけ書かれていたら何の話か判らなかったと思うのですが、「昭和戦争のインパール作戦」と書かれていたので、大東亜戦争の事なのだと解った。
私が子供の頃は「大東亜戦争=太平洋戦争」と併記されていた事が多かったと記憶しています。
名称に関してはヨーロッパでは「第2次世界大戦・ヨーロッパ戦線」とか「第2次世界大戦・太平洋戦線」というふうに呼ばれていて、日本では後者は大東亜戦争(当時の表記では「大東亞戰爭」)と呼んでいました。
一時期マスコミでは太平洋戦争と言うことになっていたようですが、どうも中国大陸での戦闘を太平洋戦争というのはおかしいということで、昭和戦争と言うことに再度改めたのでしょうか。
中華事変からはじまる一連の大陸での戦争というのは中華民国(現在の台湾亡命政府)との戦いでした。
台湾が中国の正当な政府と主張するのは、日中戦争を戦ったのは中国共産党ではなく中華民国でした。
その後ソ連の後ろ盾で中華民国を台湾に追い出したため、人民軍は実際には日本とは戦っていないにも関わらず、戦勝国として日本を扱いたい中国共産党にとっては都合が悪く、お人好な日本は中国に配慮して日中戦争と呼ぶようになったようです。
もう一つ、私が不思議に思っている事は中国人の事を支那人と言うのは日本では一部の人(特にマスコミ)からは差別用語とされているようですが、英語のChina(チャイナ)はシナという音から来ていて支那そのものです。
英語では良いのに日本語ではダメなのか。とても疑問に思います。
東支那海も東シナ海はOKで、東支那海はNGってのも意味がわかりません。
どう書いても英語では East China See です。東支那海でどこがいけないのでしょう。
支那という言葉は、日本での近畿とか四国のような地域を指す言葉で、国を指す言葉ではありませんでしたので、例えば「支那に中華民国が起る」のように使われていました。
中国共産党は中華人民共和国を中国と略し、その英語表記をChinaと認めている以上、私達が中国大陸を支那と呼んでどこが悪いのか?何故これが差別なのか?と思います。
私の街に「支那そば」の看板を掲げたラーメン屋さんがありますが、誰も差別とは思っていませんが?
コメント
支那は地名として使われていたものの、中国の呼び名としても使うようにもなり、定義があいまいになって使い勝手が悪くなって、すたれたというのが持論です。
つまり、地名として使うには支那というのがいったいどこを指しているのかよくわからない。
また、国名として使うにしても、現政権は中華人民共和国という名前があるのだから、あえて支那と呼ぶ意味もあまりない。中国と呼べば事足りてしまう。
結局、支那と呼ぶことに何の問題もないですが、あえて支那と呼ぶ必要もないのではないか、というのが私の考えです。
コメント有難うございます。
山陽地方と山陰地方の総称として中国地方または中国と呼びます。
岡山で一番大きな銀行は中國銀行で中国の国営銀行の中国銀行とは別物です。
他に中国電力など・・・
岡山県に住んでいる私としては県外の方で中国銀行を知らない人に中国銀行と言えば「え?中国の?」と反応が帰ってきましてややこしいですので、戦前に一般的だった呼称の支那に戻ればいいなと^^
と言っても支那になったからって混乱は減らないのですけどね・・・
というのが以前名古屋にいた頃に中銀(中京銀行)に口座を持っていました。このあたりは中部電力でこれは中電と呼んでいました。
中國銀行を岡山では中銀と言います、中国電力も中電。
名古屋から岡山に引っ越しした時に振込用口座を中銀(中京銀行)から中銀(中國銀行)に移し(以下略)・・・・
とまあ、ややこしい事にw
私の持論としては「支那と中国」について、どちらでも良いと思っていますが、差別用語として「支那」をタブーとするのは間違ってると思っています。
Chinaはよくて支那はだめというなら、何が違うのかと比べれば、
前者は単なる音で、後者は文字そのものにも意味があるということ
でしょうか。
あそこの病的なまでのアイデンティティは「我こそは世界の中心」です。
しかし、支には「枝分かれしたもの」の意味があり(支部や支店など)、
中心とはかけ離れた概念です。
しかも、日「本」と「支」那を並べたら上下関係が見えます。
例えば、本部と支部なら本部の方が上ですから、そこらへんが気に
食わないのだろうと思いました。差別かどうかは別にして。