学校教育と国民の国家防衛感

小学校時代に実際に耳にした会話に

先生「暴力はどんな理由があってもいけません」
生徒「向うが先に殴ってきても?」
先生「たとえ相手が悪くてもだめです」
生徒「抵抗したらだめですか」
先生「だめです」
生徒「黙って殴られなさいってことですか」
先生「そういう事ではないけど、とにかく暴力はいけません」

まったく答えになっていないけど、つまり「暴力は悪」の一線だけは大事ということ。
この考え方は広く子供たちに植えつけられた。その結果が昨今の日本外交にも影響していると思います。

防衛大臣「K国軍が対馬に上陸したようです。どう対処しましょうか」
総理大臣「とにかく様子を見よう。その間にK国大使を官邸に呼び、抗議をしよう」
防衛大臣「現場からは反撃の支持を要求していますが」
総理大臣「だめだ、国民の支持が得られない」

結果、数時間後、対馬もK国の領土になりました。

「このような暴挙は諸外国や国連が黙っていないし、米軍も黙っていないだろう。ありえない。」と、殆どの人の人は言いますが、竹島を不法占領していている韓国へ日本以外のどこの国が批判しているでしょうか。
占領当時、諸外国は默殺してしまった。

「万が一、日本に有事があった時、米軍は日本を守るのか」との問に米軍は「ノー。日本がまず戦闘状態に入り、防衛の意思を明確にしてくれないと、米軍は国内世論に説明ができない」とのこと。
これは至極当たり前で、日本が戦わないのに勝手に戦っては内戰干渉及び米軍の暴走となってしまう。

常に世界の何処かで紛争が起こっている現在、日本が平和でいられるのは、「憲法第9條を持つ平和憲法があったから」という人がいる。
でもそれは在日米軍と自衛隊という世界でもトップクラスの軍隊が日本に存在するからという現実を無視した妄想でしかない。